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ゲームの果て

第2回 何のためにゲームを作るか?

三宅陽一郎(ゲームAI開発者) 2013-01-11
ゲームの果て

何のためにゲームを作るのか?」「ゲームは社会でどんな役に立つのか?」それはデジタルゲームが常に突きつけられる問いです。それは事あるごとにデジタルゲームが突きつけられる宿命的な問いです。デジタルゲームは食べ物でも、自動車でもありません。この世界のインフラではありません。エンターテインメントであり、時に芸術でもあります。この二つである限り、ゲームは常に自分自身のアイデンティティを自分自身で問い続け証明しなければならない運命にあります。

個人的な立場としてのゲーム制作、社会的な立場としてのゲーム制作

その問いには二つの立場があります。個人的な立場社会的な立場です。個人的というのは、その人が個人の歴史の中でゲームをプレイしたり開発したりしてきた体験から答えることです。もちろん「ゲームが好きだから」で十分ですし、「あのゲームに感動したから」でも構いません。他人が口を挟むことではありません。
一方、社会的、というのは、社会の中でゲームをプレイしたり作ったりすることの意義です。それは個人というよりは、自分以外の人の関わりの中で、ゲームをプレイしたり、ゲームを作ったりする意味を考えることです。デジタルゲームは40年に近い歴史を刻もうとしています。だから、デジタルゲームはそろそろ他者との関係の中で自分自身を構築する「大人」にならなければならないのです。いや、今思えば、もっと前に大人になっていなければならなかったのでしょう。そして、この問いはなるべく多くの人と立場と共に議論しなければなりません。

もし世界が100人の村だったらゲームとは何だろう

ここでひとつ思考実験をしてみましょう。もし世界が100人の村だったら、ゲーム(開発者)ってなんでしょう?それはきっと、みんなが狩猟や農耕から疲れて帰ってきたあとに焚き火を囲んで安らぎを得るときに、踊り笑わせる道化や語り部のようなものでしょう。直接、狩猟や農耕の中に分け入るのではなく、人の余暇を充実させる、そして日常から非日常へと誘い、本来下ろすことのできないその人が背負った重荷を一時でも忘れさせ、そして、もう一度非日常から日常を新しく生きるために戻してやる、そんな役目です。そこには現実世界に相対して構築された虚構の世界があり、その世界で人を受け止め、もう一度、現実世界へ返してあげる役目を持ちます。
その人が現実世界で持つ傷や疲労が深いほど、虚構の世界は深いものにする必要があります。だからエンターテインメントの歴史はその時々の社会の情勢や個人の内面的問題を内包しつつ深化し発展して行きます。ゲームはそのインタラクティブ性を活かして、もう一つの“触れる”現実をそこに作ります。そして、その深みからもう一度現実世界へ戻す責任も同時に持つことになります。それは「行きて帰りし物語」でなければならないのです。

ゲームが社会で果たすべき役割

あまり語られないことですが、ゲームにはもう一つ大きな役割があります。それはエンターテインメント全般に言えることですが、「人の心をきれいに保つ」ということです。人は生きる中で、どうしても心に負荷をかけて生きて行かねばなりません。そうやって毎日たまって行く穢れを除いてあげるのがエンターテインメントの役割です。穢れた心は、その人のみならず、周りの人や社会にも大小さまざまな悲劇や犯罪となって現れます。そんな悲しい出来事は起こり得る前に阻止させねばなりません。法律も警察や病院も、そのために働かれています。一見ここでエンターテインメントは非力に見えます。しかし、常に人間の社会を内側から清浄なものにするという使命において、エンターテインメント、そしてゲームは急先鋒にあるのです。

人の心を治癒する先駆けとしてゲームはそこで大きな役割を持っています。一人一人の人の小さな心、その心を満たすことで社会をよりよくするという使命をゲームは持っているのです。それがエンターテインメントの方法です。それは目には見えないけれど、予めたくさんの小さな、そして大きな悲しい出来事から人を守る力を持ちます。ときに積極的に人の心を満たす力さえ時に持ち得ることができます。人にビジョンを与え、生きて行く未来のビジョンさえ与えることもあります。心を立ち上がらせる力さえあります。そこでゲームは面白い、面白くないとか、そういった形容詞で表わされる以上の力を時に持ちます。人の心を和らげ、本来のその人に戻してあげる、そんな体験を与えることができる可能性を持っています。ゲームやエンターテインメントは、人のパーソナルな内側からパブリックな社会をより良くする力を持っているのです。そして、人と社会に柔軟性を与えてくれます。

ゲームの価値

21世紀の医療は予防医療に大きく比重を移しています。デジタルゲームも、たくさんの人の心をきれいに保つことで、社会をよりよくする力を持っています。もちろん良い面ばかりではありません。問題もたくさん含んでいます。しかし、上で述べたようにゲームは確かにすばらしい価値をそこに含んでいるのです。だからこそ、ゲームは社会の中で生涯をかけて職業として作って行くに値するものだと考えています。

本連載は個人として発信されているものであり、所属する団体等とは関係ありません。
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筆者紹介/ 三宅陽一郎 (ゲームAI開発者)
1975年、兵庫県生まれ。京都大学で数学を専攻、大阪大学で物理学(物理学修士)、東京大学工学系研究科博士課程(単位取得満期退学)。2004年からゲーム業界で人工知能の研究・開発に従事。IGDA日本ゲームAI専門部会設立(世話人)、日本デジタルゲーム学会(研究委員)、CEDECアドバイザリーボード。ACM、IEEE Computational Intelligence Society、AAAI、人工知能学会会員。共著『デジタルゲームの教科書』『デジタルゲームの技術』(ソフトバンク クリエイティブ)、翻訳書『ゲームプログラマのためのC++』『C++のためのAPIデザイン』(ソフトバンク クリエイティブ)監修。「はじめてのゲームAI~意思を持つかのように行動するしくみ~」(WEB+DB PRESS Vol.68 技術評論社)論文、講演資料はWebブログを通じて公開している。

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こんにちは。三宅です。僕は日本の東京でゲーム開発、特に人工知能を専門にしています。まずおことわりをしなければならないのですが、この連載は個人として書いているもので自分のいかなる公的な立場とも関係しないものです。

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