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ゲームの果て

第3回 ゲームの価値は。

三宅陽一郎(ゲームAI開発者) 2013-01-18
ゲームの果て

かつてテレビゲームの価値は自明だった

こう言うと、少し大袈裟に聞こえるかもしれません。しかし、僕たちの世代は、ちょうど小学校3年生を境に、テレビゲームのあった時代となかった時代の境界を生きた世代です。だから、テレビゲームが拓いてくれた世界の広さを身をもって体験した世代です。

ゲームが与えてくれた丸ごとまっさらな遊び場

12歳の時でした。いつも通りの小学校の休み時間に、みんなが集まって話をしていました。

  • 「あの洞窟行った?」
  • 「まだ、レベル足りない」
  • 「その前の街でアイテムを買って北の森を抜けるといい」
  • 「平野はモンスターとあまり合わないよ」
  • 「それでも装備は整えていた方がいい」
  • 「……」

彼らが何を言っているのか、僕にはさっぱりわかりませんでした。

彼らは夜な夜な僕の知らない世界で一緒に旅をしている。僕が知らない彼らだけが知っている世界、別の土地がある。別の遊び場がある。運動場でもなく、原っぱでもなく、空き地でもなく、別の場所がある、僕だけがそれを知らない、そんな不思議な感覚でした。僕もいつしかその世界に行ってみたいと思うようになりました。

そう、テレビゲームは子供にまったく新しい遊び場を丸ごと提供してくれたのです。それはあたかも「2010年宇宙の旅」のエンディングのように、(ここからネタばれ)地球人類にまるまるまっさらな惑星を与えてくれたようなものでした。

ここで、好きに遊んでいいよ!

ゲームというインタラクティブな世界が形成したもの

当時、テレビや小説に比べて、テレビゲームは主体的に行える活動でした。絵を描いたり、小説を書いたり、漫画を描いたり、工作をしたり、小学校の頃から何かを作るのが好きだった僕は、テレビゲームにはまりこみました。子供は自分だけの没入できる世界を求めます。

ゲームというインタラクティブな世界は、子供の欲求に高いレベルで応えてくれました。テレビゲームという惑星の上で、僕たちは何度も何度も「行きて帰りし冒険」を重ね、それは現実における経験や冒険と混じり合いながら、僕と僕たちの世代の原体験を形成してくれました。

それ以降、テレビゲームはIT技術の先駆けとしての役割を果たして来ました。デジタルという言葉がメインストリームに乗るずっと以前から、家庭用ゲーム機は子供たちを中心に浸透していました。

おそらく、インターネットが出てきた当初も、それが、ただページを閲覧するだけだった時代には、デジタルコンテンツへの関心と感受性の高まりと共に、テレビゲームの価値はむしろより一層高まったのではないでしょうか。しかしインターネットは次第に、ゲームと同じように人が主体的に参加できる空間に変化していきます。BBSを経て、ブログ、SNS、ニコニコ動画、twitter、facebookと、人が能動的に参加できる空間になりました。そうなって初めて、デジタルゲームはインタラクティブなデジタル空間としてのアイデンティティを揺さぶられ、相対化されていきました。

その後の展開は皆さんもご存じのことでしょう。インタラクティブであることは、もはやテレビゲームのアイデンティティではありません。インターフェースを変化させること、グラフィクスを美麗にすること、物語を伝えること、音楽と融合すること、さまざまな差別化をしながら、テレビゲームは自らを変革し発展させて来ました。これまでのインタラクティブなデジタルコンテンツの牽引役としての役割はいったん終わりました。そして新しい未来のコンテンツの牽引役としての姿がデジタルゲームには求められています。しかし、その姿はまだ朧げにしか見えていません。

見えにくくなっている「ゲームの価値」

ゲームの価値は、確かに今、最も見えなくなっています。しかし、人間がより豊かに参加できるデジタル空間の嚆矢として、テレビゲームは先端を走り続けています。一つ一つのゲームはコンテンツであると同時にモデルケースでもあります。ますます肥大化するデジタル空間の中で、テレビゲームはその空間の質を上げて行くコアとしての役割を果たさねばなりません。テレビゲームはまさにインタラクティブなデジタル空間の未来の姿を描き出す場なのです。

現在のデジタルコンテンツの大きな流れの一つは、テレビゲームの文脈上にあります。テレビゲームからインスパイアされたデジタルコンテンツが山のようにあり、たくさんのデジタルクリエーターたちがテレビゲームから与えられたものを受けとめ、それぞれに理解し、変奏曲やオリジナルを生み出して来ました。クリエーターたちは、たくさんのインタビューで「テレビゲームに恩返しをするような気持ち」を持って製作していると語っています。また自分の知り合いの他業界の人間からも同じようなメッセージを頂くことがあります。

その度にテレビゲームが人と社会に与えて来た影響力の大きさに驚かされます。テレビゲームという原体験が僕たちを結びつけています。メッセージを聞くたびに、これからもテレビゲームは、人間の未来のためのビジョンを与えて行く役割を担っていることを実感します。

「ゲームの価値」とは

始めの問いに戻ります、ゲームの価値はなんでしょう。今回は、僕の考えを述べました。たぶん正解ではないでしょう。正解というものがあるかもわかりません。ぜひ、自分で考えてみてください。その答えが肯定にしろ、否定にしろ、どちらでもないにしろ、僕はこの問いを考え続ける人間の味方でありたいと思っています。

本連載は個人として発信されているものであり、所属する団体等とは関係ありません。
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筆者紹介/ 三宅陽一郎 (ゲームAI開発者)
1975年、兵庫県生まれ。京都大学で数学を専攻、大阪大学で物理学(物理学修士)、東京大学工学系研究科博士課程(単位取得満期退学)。2004年からゲーム業界で人工知能の研究・開発に従事。IGDA日本ゲームAI専門部会設立(世話人)、日本デジタルゲーム学会(研究委員)、CEDECアドバイザリーボード。ACM、IEEE Computational Intelligence Society、AAAI、人工知能学会会員。共著『デジタルゲームの教科書』『デジタルゲームの技術』(ソフトバンク クリエイティブ)、翻訳書『ゲームプログラマのためのC++』『C++のためのAPIデザイン』(ソフトバンク クリエイティブ)監修。「はじめてのゲームAI~意思を持つかのように行動するしくみ~」(WEB+DB PRESS Vol.68 技術評論社)論文、講演資料はWebブログを通じて公開している。

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第1回 連載にあたって

こんにちは。三宅です。僕は日本の東京でゲーム開発、特に人工知能を専門にしています。まずおことわりをしなければならないのですが、この連載は個人として書いているもので自分のいかなる公的な立場とも関係しないものです。

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