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GGJ琉球大学会場スペシャル対談 キーマンに聞く沖縄ゲーム産業の現状と可能性

小野憲史(ゲームジャーナリスト) 2015-02-23

参加者弘津健康(サマータイムスタジオ)
    大城(ブリブサー)
    古波倉正隆(IGDA琉球大学)

ここ数年で急速に成長してきた感のある沖縄のゲーム産業。サマータイムスタジオ、ブリブサー、架け橋ゲームズ、そして『TENGAMI』の世界的な大ヒットと、さまざまなゲームがスマホ向けに開発され、人気を集めています。一方、2013年にはじめてGlobalGameJamが沖縄でも開催され、プロと学生を巻き込んで、着実に成長を続けてきました。この「地域産業の進展」と「GGJ」の関係について探るべく、GGJ2015の終了後に会場となった琉球大学(http://globalgamejam.org/2015/jam-sites/university-ryukyus)で特別座談会を実施しました。

---今日はよろしくお願いします。はじめに皆さんの自己紹介をお願いします。

弘津健康氏

弘津 サマータイムスタジオ代表の弘津健康です。自分自身は東京の出身で、PCのオンラインゲーム会社と家庭用のゲームメーカーを経て、3年前に沖縄で会社を作りました。今はスマホ向けのゲームを中心に出しつつ、PCゲームも開発を進めています。「インディーズのゲーム開発」を誇りにやっています。社員は約30名ですが、この4月に大阪から新卒の子たちが8人ほど移住して来てくれることになり、約40名になります。1976年生まれで、今年で38歳になりますね。

大城翼氏

大城 ブリブサーで開発とディレクションを担当している大城翼です。弊社はカジュアルゲームやソーシャルゲームを中心にスマホアプリの開発・運営をしており、一昨年の4月に起業して今は約30名です。これまで10本のカジュアルゲームをリリースしており、今年ははじめて2本のソーシャルゲームをリリースしたところです。自分自身は沖縄出身で、2年前に卒業して1年だけサイト制作の会社で働き、一昨年の10月に弊社に転職しました。1988年生まれで、26歳になります。

記者(左)、古波倉正隆氏(右)

古波倉 IGDA琉球大学の代表で、大学院1年生の古波倉正隆です。GGJのような社会人と学生が協力してゲームを開発するイベントの企画・運営を通して、学生の能力向上や人材交流などができる会を、他にもいろいろと開催させてもらっています。大学では情報工学専攻で、専門は並列処理です。実は大城さんとは同じ1988年生まれで、同じ高校の同級生だったんですよ。

---弘津さんは、いわゆる「ナナロク世代」なんですね。そして大城さん、古波倉君は一回り違うという。

弘津 いやー、周りが若くてビックリです。

---みなさん、どんなゲームを作っていますか?

弘津 ゴリゴリのネイティブアプリでゲームを作っています。起業したころはウェアアプリのソーシャルゲームが全盛でしたが、すぐに技術的な限界がくると思ったんですよ。その時、せっかく苦労して作った自分たちのゲームを真似されるようなことには、したくなかったんですよね。そうすると技術力で差をつけるしかないし、そうなると家庭用ゲームよりになっていくわけで、その結果がこうなりました。

---海外のインディゲームに近いスタイルですよね。

弘津 まさにそうですね。

---ブリブサーさんがカジュアルゲームから入られたのは、なぜですか?

大城 会社も社員も若いので、技術研鑽の意味も含めて、数をたくさん出していきたいという思いがありました。企画からリリースまで全部社内でやることで、経験を積みたかったんです。そうした中、ようやくソーシャルゲームも自分たちで作れるくらいになりまして、2015年1月に『がんがんがーるズ!』というゲームをリリースできました。もう一本、他社様との協業でソーシャルゲームをリリースしました。

---出せば出すほど能力値は上がりますし、作って出さないのが一番ダメですよね。

大城 それは上司からも常々言われています。実際にリリースを通して、思いも寄らなかった経験がいろいろできました。自分もふくめてほぼ全員が新人のチームで、想像以上に大変でしたね。今日も運営チームが必死に対応しています。でも、もし完成度を高めることにこだわりすぎて、結果的にリリースできなかったりしたら、何の経験にもならないので、まずはリリースしてよかったと思います。

弘津 なかなか自分たちの思い通りにはならないしね。世の中うまくいかないなあと、自分もよく頭をひねっています。実際に家庭用ゲームとスマホのユーザー層の違いについては、いつも肌で感じていますよ。ただ、自分は家庭用ゲームを遊んで人生を生き抜く術を教わったと思っているんです。それこそ『バイオハザード』でサバイバル術を学んだりとか。そういった要素をスマホゲームに落とし込もうとすると、どうしても表現力やゲーム内容を厚くしていきたくなりますね。その結果、スマホ向けではなくなるのがジレンマですが。

---みなさん子供の頃はどんなゲームを遊んでいましたか?

大城 プレステの『デジモンワールド』に小学生の頃むちゃむちゃハマってたんですよ。中でも『1』はデジモンの育成から卵が生まれて、次の世代に技を引き継ぐというサイクルを、きちんと再現していたんですよね。その後はただのRPGになってしまって残念でしたが。

古波倉 僕は一緒に住んでいたおじさんの影響で、2歳くらいのころからファミコンに触れていました。一番覚えているのがビリヤードのゲームです。その後、スーファミの『信長の野望 武将風雲録』や『三國志』にハマりました。おじさんに武将の背景を教えてもらってから、急にハマりました。

弘津 能力をどんどん引き継いでいくゲームといえば、僕らの世代だと『俺の屍を越えていけ』ですね。大学の頃だったかなあ。・・・。でも、これが一回りすると『デジモン』になっちゃうんですね。世代の違いをリアルに感じました。

---沖縄と言えばサマスタさんにブリブサーさんが起業されたのに続いて、架け橋ゲームズの矢澤竜太さんが沖縄に移住されましたよね。それから『TENGAMI』の東江亮さんが沖縄在住だったりと、急に盛り上がってきた感じがします。全体で何社くらいあるんでしょうか?

古波倉 他に有名なところではアプリカラボさんですね。それからエイティングさんに、フラッシュエッジさん。

弘津 最初期でいえばCGCGスタジオさんじゃないでしょうか。映像系の会社で、かなり大きいモーションキャプチャスタジオがあり、よく国内の有名タイトル向けにムービーを作られています。2003年創業なので、もう12年になりますね。あとはトーセさんが2006年にトーセ沖縄をスタートさせましたが、2012年に本社に吸収合併されて、閉じられてしまいました。

古波倉 IT業界全体で言えば、2008年に沖縄IT津梁パークというインキュベーションセンターができたことで、はずみがつきました。データセンターやクラウドサーバといったインフラ系が中心ですが。

---そう考えると、ホントにここ1−2年の話なんですね。そもそもなぜ沖縄で起業されたんですか?

弘津 自分の場合は移住したことが大きいですね。10年くらい前に住民票を移しましたから。週末に沖縄の旅行番組を東京で見て、飛行機に乗って沖縄に行って、海をみて一発で魅了されてしまいました。その足でマンションを契約して、水曜日に会社に戻って「来週引っ越します」といったら、すごく怒られました。

---すごいですね! 何か心に抱えてたんですか?

弘津 病んでましたね〜。ちょうど2004〜5年のころで、PCも家庭用ゲーム機もオンラインゲームが盛り上がっていたころでした。その一方で作り手がみんな大変になってきていて。ふっと沖縄が心の隙間に入ってきちゃったんですよね。当時は20代の終わりごろで、俺の人生このままでいいのかな〜なんて。

---逆に大城さんは東京で一旗あげるとか、考えたことはなかったんですか?

大城 あんまり考えたことなかったですね。沖縄でも本土でも、どっちでもよかったんです。もともと学生時代にウェブ制作会社でバイトをしていて、その流れで社員になって、なんか違うなと思って辞めて、ハローワークに行ったらブリブサーの求人があって、じゃあここでがんばろうと。運が良かったですね。

---古波倉くんは?

古波倉 ちょうど就活の時期なので、まさに悩んでいる最中なんですよ。一度は東京で働いてみたいと思っていて、このまえ上京したんですよ。羽田空港に着いてビックリしました。空気が重いんですよ。正直「ずっとは住めないな……」と思いました。あと沖縄は長男が墓をつがないといけないという文化もあり……。

弘津 リアルだなあ(笑)

古波倉 ただ、なんだかんだで人は東京に集まるじゃないですか。僕も東京に行っていろんな人にお会できました。勉強会も相当活発に行われていますし、自分を高める意味では東京が一番だと思います。若いうちに一度は東京に行って、最終的には沖縄というイメージをたてています。

大城 たしかに東京には定期的に行きたいですね。技術力も、勉強会も、人材交流もそうだし、いずれも沖縄にはあまりないですからね。そこは東京がうらやましいですね。

弘津 スマホが普及しても、リアルにそこにいるメリットは大きいですね。東京を知っておくことで沖縄との比較がきちんとできるようになるでしょうし。東京には長く住みたくはないけれど、一度はいたほうがいいと個人的には思います。

古波倉 象徴的だったのが2014年9月に開催された「Oculus Rift DK2 体験会 in 琉球大学」でした。そのときまでオキュラスの存在は知っていても、実際に触ったことがなかったんですよ。あのイベントがきっかけで、ようやく大学内でもオキュラスについて広まった感じがするんですね。こんなふうにインターネットで情報がとれる世界であっても、沖縄だと自分から取りに行かないと難しいのかなと。

---たしかに地方ならではの情報の枯渇感というのはあると思います。ただ、東京にずっといると、それが当たり前になってしまいますよね。実際に勉強会はあっても、東京では学生の参加率が低い感じがします。大人と話すのが怖い、場違い感を感じる、などはよく聞きますね。

大城 えーっ、そうなんですか。

---あとは大人でも変に上から目線になってしまって、参加しても仕方がないとか。

弘津 ああ、そういう弊害はあるかもしれませんね。沖縄だと若い子が元気なんですよ。すごく能力が高い子が多いので、GGJのようなイベントがあることで、モチベーションが高まるのは良いことだと思いますね。10年後、今の福岡と同じような産業クラスターになる可能性があるくらい、ゲーム開発のエネルギーを感じます。

---たしかに世界でもアプリ時代になって急に伸びた地域はありますね。オーストラリアはその一つで、『フルーツ忍者』のハーフブリックをはじめとした、伸び盛りのベンチャーがたくさんあります。

大城 そういったエネルギーは周りを見ても感じますね。まだ業界に入ったばかりですが、GGJが沖縄で開催されるようになったり、サマータイムスタジオさんのアプリが海外で売れている話を聞いたりすると、沖縄でゲームがガッと伸びていく下地ができつつあるのかなと。学生たちにとってもゲーム開発を身近なものとして感じられるようになってきたのかなと思います。

弘津 うちは開発の平均年齢が23歳です。社員は沖縄の専門学校卒の新卒の子が多いんですよ。また次の4月で大阪から新卒がどっとくるので、年齢が上がらないという。一方、技術力には長年蓄積されていくための土壌が必要なので、上の世代の技術力を若い世代に落としつつ、自分たちの感性でゲームが作れるようになると、意外と今っぽいゲームができるんじゃないかと期待しています。

大城 弊社も社員の平均年齢は20代前半ですね。

---会社間での交流はありますか?

弘津 会社としてはありませんが、現場レベルではみなつながっていますよね。やっぱり狭いので。ただデスマーチ続きで、勉強会を開催する余裕が無くて。

大城 それは確実にありますね。やらなきゃいけないんですけどね。やったほうがいい。

弘津 まずは自社でヒットを出すことだと思うんですよ。そうすれば精神的にも余裕が出てくるので、そこから外部を巻き込んだ勉強会の主催を定例化していきたいなと思っています。今だと不定期になっちゃうので、そこは良くないなと思うんですよね。

古波倉 学生からすると、企業の方に主催していただければというのはありますね。やっぱり学生の立場だと、きっかけがないんですよ。たとえば沖縄にも「Java Küche」というインフラ系のコミュニティがあり、そこは定期的に勉強会を開催されていて、東京から講師も呼んだりしています。だから情報工学科の学生、といっても沖縄には琉球大学しかないんですが、そこの学生はほとんどみんな、その勉強会には行くんですよ。ゲーム関係はまだそういった勉強会が少ないですし、自分たちで切り開かないといけないハードルの高さがあるのは事実なので、そこを下げていきたいですね。

---それは札幌と同じですね。札幌も学生主導でkawazという勉強会が立ち上がって、GGJ札幌会場ができて、そこにプロや専門学校の先生がジョインしてきて・・・という流れがあります。学生中心だとプロはお手伝いくらいでいいし、学生はどんどん卒業していくので世代交代や新陳代謝が生まれる。実はプロも誰かがやってくれるのを待ってるんですよね。そして一番暇なのが学生だという。

大城 そういった環境があると、たしかにそうですね。僕もできる限り協力したいなと思いますし。

弘津 そうだ古波倉くん、がんばろう。

古波倉 がんばります。卒業まで1年しかないので、後継者も育てないと・・・。

---勉強会やコミュニティ活動からの人材採用という可能性はありますか?

弘津 そこはデリケートなんですよね。僕は採用は別枠で考えています。勉強会に企業の商売っ気をへんに混ぜちゃうのは良くないと思っていて……。実際、勉強会がきっかけて採用したケースは一度もないんですよ。

---勉強会に対して企業がどのようにコミットメントしていくかは、皆さん悩んでいますね。

古波倉 ただ学生の立ち場からすると、社会人の方のすごい技術力を実際に見たいんですよね。実際に上を知ることで実際に行ける世界もあるじゃないですか。僕がGGJの運営をしているのも、学生に対して上を見て欲しいという思いがあります。また情報工学科の学生自体、内向きな感じなんですよ。だから少しでも外をみてもらいたくて、ゲームを題材にしてこういう会をやっています。

大城 僕は学生のころに何をしてたかなあ。全然ゲーム業界について知らなくて。ウェブサービスに興味があったので、そういう勉強会には参加していましたね。

---やっぱり、勉強会があるとゲーム業界への具体的な道が見えてくる。

弘津 そこは悩むところですよね。自分はたまたまゲーム業界に入れたから、そこの苦しみはなかったですけど、実際に入るのって壁が大きいですよね。入り方が分からなければ、なおさらです。僕らの時は採用枠ももっと小さかったので。今は間口が広がったので、昔よりは敷居が低くなっているはずですが、やっぱりハードルが高いと思います。

古波倉 僕もそう思います。

弘津 ただ、ゲームはアートとサイエンスが融合するという矛盾した業界だから、そこで敷居が高くなるのはしようがないんですよね。変に下がりすぎちゃうのも良くないんじゃないかと思う反面、優秀な学生でも情報にリーチできないから応募してこないという事態は避けたいし。じゃあ、どこに答えがあるのかと言われると・・・

大城 弊社ではインターンがきっかけになることが多いですね。

---そもそもGGJが沖縄で開催されることになったのは、何がきっかけでしたっけ?

大城 沖縄で開催されるようになったのは、2013年からです。民間と自治体が一緒になって「Global Game Jam Okinawa 2013 開催を目指す会」が発足し、UnityとPhoneGapの勉強会が開催されて、事前のゲームジャムとしてGameJamOkinawaが続いて、最終的にGGJのOIST(沖縄科学技術大学院大学)会場開催につながりました。弊社代表、といっても当時はまだ前職でしたが、渋川浩史も実行委員会のメンバーでした。IGDA福岡の金子晃介さん(福岡会場の運営責任者で日本のリージョナルコーディネーター)にも協力してもらったと聞いています。

弘津 そうそう。そのころ弊社は沖縄県の北谷町にあったんですよ。それで、せっかくだから弊社でも会場を運営しようということになって、沖縄北谷会場が立ち上がりました。

古波倉 それが2014では宜野湾ベイサイド情報センターと琉球大学で開催されまして、2015で満を持して琉球大学に一本化されました。

---2013ではIGDA日本にも協力の打診がきて、さすがに東京からサポートはできなかったので、金子さんを紹介した経緯がありました。自治体と一緒になって推進していくパワーはすごいなと思っていました。

弘津 残念ながら弊社では、行政とのつながりはあんまりないんですよ。ただ言われるように、行政との距離は東京と比べて近いかもしれないですね。

大城 実際に渋川は行政をうまく活用していると思います。行政との距離は近すぎても遠すぎてもダメです。しかし活用できるところは、どんどん活用していった方が良いのではないでしょうか。

---今年のGGJを開催されてみてどうでしたか?

古波倉 全員で51人に参加していただいて、9本のゲームが完成しました。今まではゲームジャムを開催しても琉大生が中心で、外部の大学生と社会人がちらほらという感じでしたが、今年はぐっと多様性が増しました。県内から大学が3校、専門学校が3校参加してますし、社会人もあわせて5-6社くらい参加されています。自分たちの世界にとじこまらずに、他の人がどういうことをやっているのか、見せられたと思います。学生3に対してプロ2という割合で、良いバランスになりました。

---宣伝はしましたか?

古波倉 情報工学科の学生にGGJのことをプッシュしたり、個人的に仲良くさせてもらっている企業の方にアプローチをかけていきました。Unityさんに関しては、福島GameJam2014でも参加いただいたんですよ。今回もサポートをお願いしたら、ご快諾いただけました。ただ、それ以外にまったく飛び込みで、東京から社会人の方に数名参加いただけたのはビックリしました。沖縄に遊びに行くついでにゲームジャムにも参加、なんて思っていただけたのだとしたら嬉しいですね。

---女子率も高いですね。

古波倉 僕もビックリしました。琉大だけでやると、プログラマはいてもアーティストが極端に少なくなるんですよ。また、情報工学科の学生なので男子の参加比率が高いです。今回の女子率の高さは、他の学校の方々の参加もありますし、アーティストの方々の女子の比率が高かったのでトータル的に女子率が高くなっています

---沖縄の学生のレベルはいかがですか?

大城 自分は高いと思いますよ。専門学校の展示会などに行くと、中にはそのままゲームに使えそうなものだったり、というのがチラホラとあります。

---福岡だと、そういう「できる子」が地元にゲーム会社があることを知らずに、みんな大阪や東京に行っちゃうという問題があります。

弘津 県民性として、あんまり県外に出ていかないので、企業にとってはメリットですね。ただ、じゃあ東京で通用するかというと、トップ以外はまだまだかなと。勉強会の話にもかぶりますが、まだまだ下地ができているわけではないので、県内ではレベルが高くても東京では低いといったことは多いです。でも能力が低いかというと、そんなことはなくて。晩成型かもしれませんね。しっかり基礎を若いウチから教えたら、28-9歳くらいからぐっとのびる可能性がありますね。ソーシャルゲームになって皆さん結果をすぐに出したいという感じですが、じっくり育てたいですね。僕も業界から長い目で育ててもらいましたし。

大城 逆に沖縄では県内に残るといっても、ゲーム以外の業界に行っちゃう可能性があるんですよ。高校で3Dモデリングを勉強している子が、卒業後に就職口がないからといって印刷業界にいったり。

弘津 それはゴールデンコースですね。ポスターやパンフレットのデザインだけで、3Dモデリングと関係なくても、「デザインができるから」という理由だけで行っちゃう。あとは不動産業も多くて、3Dソフトを使って部屋の間取りを作れるから就職しちゃう。ゲーム会社が沖縄にあることが、まだまだ知られていないという問題はありますね。

---アピールの機会はありますか?

大城 うーん、高校生向けにインターンを募集するくらいしか思いつかないですね・・・実際に受け入れは積極的にしています。

弘津 僕らは特にやってないですね・・・専門学校向けに就職説明会は開催していますが・・・。でも最近、そこで来る質問の6割くらいは、カレーやステーキの大食いに関する内容なんですよ。ゲームに関する質問が少なくて(笑)。逆にFacebookやTwitterでの拡散は浸透してきているなと感じます。

---それではそろそろまとめということで。皆さん、いまの課題と取り組みについて教えてください。

大城 まずは「ヒット作を出す」ことですね。まだ設立して2年弱の会社で、ヒットを出すことが出来ていないので。個人的には『がんがんがーるズ!』をしっかり育てていくことと、他社様と協業開発のソーシャルゲームをきちんと運営していくことに注力しています。

古波倉 いまIGDA琉球大学が主催している勉強会は、まだまだ学生の力が及ぶ範囲に留まっているんですよ。なんとか社会人の方を巻き込んで、一緒に盛り上げていきたい。能力の向上や知識の吸収を進めたい。繰り返しになりますが、そういう意味もこめてGGJをやりました。

弘津 自分たちのゲームを作り続けることですね。そのためにアプリストアのランキングをみないようにしています。商業的な観点からすると絶対ダメですが、一度気にし始めると「ガチャを入れる」とか、自分たちのゲーム作りに対して軸がぶれちゃうんで。これは会社全員で意識してやっています。

---では最後に沖縄のゲーム産業の未来について、一言ずつお願いします。

弘津 日本ではトップクラスの産業クラスターになる可能性は十分にありますし、それを支える若い力やモチベーションもあります。問題は僕らが焦らずにちゃんと人材教育してあげられるかどうか。特に今は時代が速いので、腰を据えてやってあげられるかどうか。それから民間企業がしっかり力をつけて、世界に出て行くことです。行政だけでは限界がありますから。補助金一辺倒で何でも頼っちゃうのは良くないですね。

古波倉 IGDA琉球大学の活動自体も沖縄のゲーム業界の底上げに貢献できているのかなと思っています。これまでは学校毎にバラバラでしたが、GGJなどの場を設けることで、それぞれの技術交流もできます。これからも勉強会やゲームジャムの開催を進めていきたいですね。

大城 お二人が言われたとおりで、土台自体はできていると思っていて、あとは僕ら若手や会社が、どれだけインパクトを与えていけるかにかかっていると思います。がんばります。

---ありがとうございました。

筆者紹介/ 小野憲史 (ゲームジャーナリスト)
平日は主夫業に忙しいゲームジャーナリスト。 雑誌『ゲーム批評』編集長を経て2000年よりフリーランスで活動中。Webを中心に業界レポート、インタビュー、コラムなどを発表している。 2012年よりNPO法人国際ゲーム開発者協会日本(IGDA日本)代表。

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